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面白出張談義 第一回

2022年5月23日

2020年11月に第一回ブログ「安全で安心なエネルギーをグリーンテクノロジーで」から2022年4月の第十七回ブログ「補体系が関わる病気 10」まで約1年半にわたり学術的な案件を中心にブログを続けてきたが、ここで少し目先を変えて、私が過去に海外出張や個人旅行を通して経験してきた失敗談も含めて話していきたいと思う。

私は製薬企業や大学、各種研究機関向けの研究試薬の市場で 48 年近く働いてきた。外国語学部英語学科出身ではあるが、外国には全く興味がなく、ましてや英語を話す気もなかった私ではあるが、出身学部の影響は避けられず、なぜか輸入品に携わる羽目に陥ってしまった。 因みに試薬業界では汎用試薬は別として特殊用途の試薬は大半が輸入品だった。
私が海外出張を経験したのは1992年から2016年ごろまでの24年間で40回以上の海外出張を経験したが、個人旅行はわずか3回しか経験していない。訪問した国は1回のみの国も含め23か国になる。訪問回数が多い国はアメリカとは思うが、ドイツとイギリスもほぼ同じくらいだと思う。回数はぐっと減るが次に来るのは、スイス、オランダ、オーストラリアで6回から10回。スペイン、カナダ、アイルランド、フランス、ベルギー、デンマーク、スウェーデン、中国が3回から5回で続く。イタリアは個人旅行も含め2回しか行っていない。現在の仕事の中心であるノルウェーへはまだ2回で、1回しか行ったことがない国は、ポルトガル、リトアニア、イスラエル、ニュージーランド、インド、オーストリア、メキシコの7か国となるが、それぞれに強烈な印象が残っている。年度順不同とはなるが、話をしていきたい。

初出張 いきなり一人で!

初めての海外出張はアメリカだった。外国語学部出身とはいえ、話すことは全く興味がなかった私にとってはあまりうれしい話でもなかったが、仕事と割り切って行くことにした。しかも当初同行してくれるはずだった海外出張の経験のある部長が急病で行けなくなり、一人で行く羽目となった。英語を話せる自信など全くなかったが、結構楽天的な性格か行けば何とかなるという気持ちしかなかった。
訪問したのは会社指定の当時最大の取引企業であったシグマ社とアルドリッチ社(後に合併し、シグマアルドリッチ社、更に2015年にはドイツのメルク社に買収され現在はメルクのグループ企業となっている)と、一社は自由に選択というかなり楽な設定だった。更に、とりあえず経験、と成果を求められる出張ではなかったこと、行く空港では当時メインだった貨物業者の方が出迎えてくれるようになったこと、前半の2社はアルドリッチ社の日本支店の責任者の方にアテンドしてもらえることになったことなど、至れり尽くせりの配慮も多少気を楽にさせてくれた。

「面白出張談義」と銘打った割にのっけから堅苦しい話になってしまった。この初めての出張からもう30年も経ってしまったが、やはり初めてということで印象に残っていることは多い。それは次回ということで、最後にその初出張における最大の失敗談を。

この初出張で訪れた都市は、シカゴ、セントルイス、ミルウォーキー、フィラデルフィアだが、帰国の際の乗り継ぎは、フィラデルフィア空港からニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港だった。荷物はフィラデルフィア空港で預けて日本へ直行のためジョン・F・ケネディ国際空港で荷物の預け直しはしなくてもよかったので、手荷物だけで日本行きの飛行機が出るターミナル 7 に向かえばよかったのだが、自他ともに認める方向音痴の私はどちらに向かえばいいかが全く分からない。標識も見当たらない。意を決して空港係員(らしき人)に尋ねると、どうもバスで移動しなければならないらしいことが判明。教えてもらったバス乗り場に行きターミナル番号を頼りにたまたまやってきたバスの運転手にターミナル番号を言って行くかどうか確認し「YES」の答えに迷わず乗ってしまった。飛行機の出発時間までは1時間40分くらいあったし時間はかかっても20分程度だろうと高を括っていたがこれが大きな間違いだった。

バスは30分経っても40分経っても田舎道みたいなところを延々と走り、ターミナルらしい建物が一向に見えてこない。さすがに不安になり、バスの運転手に再度ターミナルを伝えて確認すると「行くから心配するな」の言葉。その言葉を信じて更に20分程度乗り続けようやく目的と思われるターミナルで降ろされたのは出発30分前。そこはターミナルというより待合所みたいな感じで本当にここなのかと更に不安になったが、日本人らしき人や客室添乗員らしき人も見え一安心。無事帰国となった。

失敗の原因は確認不足の一言。もちろんバスに乗る前に出発ターミナルである Teminal7 に行くかどうかは確認してバスの運転士から「行く」と聞いて乗り込んだのだが、どうも反対回りのバスだったようで Terminal 7は最終地。乗り込んだのは確かTerminal8 だったので Teminal7は隣ではあるが、その当時隣のターミナルまで徒歩で行けたかどうかはわからない。今は周回のエアトレインが運航しているようなので反対周りに乗っても20分程度で行けるようだ。

さて、初めての出張で乗り物に乗るときには最大の注意を払い、わかるまで確認すること、という教訓を得たのだが、「天災は忘れたころにくる」の言葉通り、その後のヨーロッパ出張で同じミスをして、逆方向の列車に乗り、3回も乗り換えを繰り返し、予定していた飛行機に乗り遅れるという失態を演じてしまったが、これについてはまたの機会に。

面白出張談義 第一回
終わり

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