面白出張談義 第二回
面白出張談義 第二回。第一回で話したような大失敗はあったものの、訪問した会社の日本の責任者の方や、物流をお願いしている会社の米国滞在の方のおかげもあって、無事に終了した。しかしこの初出張は自分が思っていた以上に、自分では気がつかないうちにその後の自分の考え方や行動に影響を与えたようだ。
大阪伊丹空港(まだ関西国際空港は開港していない)から成田経由で最初に到着したのはその当時世界で一番混雑する空港といわれていたChicago O’HARE国際空港。広さは成田の3倍以上(だったと思うが記憶違いかもしれない)。何事も初めてで勝手がわからないまま到着。とにかく人が多い。入国審査を終え荷物を受け取るまで2時間近くかかったような気がする。自他ともに認める方向音痴である私が何の問題もなく到着フロアにたどり着けたのは奇跡だったかもしれない。
到着フロアで阪急交通社(現阪急阪神エアカーゴ)の駐在員の方の出迎えを受け昼食をとることとなったが、ここでいきなりアメリカの洗礼を受けることに。到着直後の疲労も考えて軽いものと考え長崎ちゃんぽん(のようなもの、名前は忘れた)にしたが、少し考えが甘かったようだ。とにかく量が多い。日本の標準の倍近く、控えめに言っても1.5倍以上はあり食べきれない。当時の私は大食いとまではいかないものの決して小食ではなく普通の人より食べる方ではあったが、半分食べるのがやっと。出されたものは食べきる主義を撤回するしかなかった。
昼食後は航空貨物建屋の見学に。そしてここで思いがけない幸運に。
見学させていただいたのは日本航空とFEDEX。両社ともに貨物の積み込み現場を見学させていただくことに。細かいことはもう覚えていないが、要は集荷された貨物をベルトコンベアで流し、パッケージの大きさで振り分けられるというもの。それほど驚くような仕組みでもないが、限られた貨物機に効率よく荷物を積み込むためには重要な部分と認識した。(当たり前のことかもしれないが)
一番の幸運はFedexでたまたま貨物機が倉庫に横付けしていたため、実際の貨物機の内部を見せてもらうことが出来たこと。詳細は省くが、この見学は仕事に直接かかわることではないとしても知っていて損をすることではなく、とても貴重な経験となった。
阪急交通社の方にはお世話になりっぱなしでシカゴを後にし、次の目的地はセントルイス。目的はSigma Chemical Company社。この会社私がこの業界に入った1973年頃は拡散を中心に数十ページ程度の小さなカタログでしかなかったのだが、私が訪問した1993年頃は生化学系試薬総合メーカー(注:試薬の場合小分け・ラベル貼替は製造業とみなされる)としての地位をほぼ確立し、日本でもその勢いを増しつつあった頃だ。 ここで興味深かったのはカタログ編集部門。6人のケミストが世界中から集めた競合相手のカタログデータを精査し品質から価格までをデータベース化し自社の次回カタログの参考としているとのコメント。品質管理においては2万から3万程度の製品の製造時に次回再検査の日付を入力しているという話。試薬は新しい化学物質が多く市場がよくわからないものも多く大半は早めの次回検査日を入れているということも教えてもらった。これは自社に持ち帰って簡単にできそうな気がしたが、私が在籍中に実現することはなかったのは残念。
翌日はSigma社の社長、Tom Cori氏と朝食ミーティングの機会を得た。Tom Cori氏は筋肉内でグルコースから生成された乳酸が血液を介して肝臓に届けられ肝臓で再びグルコースに変換される糖代謝の研究、いわゆる「コリ回路」の発見で、1947年度ノーベル生化学・医学賞を受賞されたカール・コリとゲルティ・コリ夫妻の息子さんである。氏の朝食ミーティングの恒例行事は相手の朝のルーチンを聞くことらしく私もさりげなく聞かれたのだが当時の私の語学力ではしゃれたことを言えるわけもなく、まるで英会話学習のような答えとなり思い出すだけで恥ずかしくなる。しかしこの経験のおかげでその後の英語学習に力が入るようになったのも事実で感謝する次第である。
このTom Cori氏、この時は気さくで快活な人だったのだが次にお会いした時は日本における自社製品の流通形態を大幅に変更する大きな計画を抱えていたせいか気難しく取り付く島もない人に変貌されていたのには驚いた。
次の訪問先はミルウォーキーにあるAldrich Chemical Company、そこからフィラデルフィアに移動し、商社であるSFSI社(Service For Science & Industry)に向かう。
今回はここまで。